2014年1月10日金曜日

台湾映画「非情都市」を観て

 この映画は、1989年に台湾(中華民国)で公開されたもので、1947年台湾人の暴動に対して国民党政府が行った弾圧事件(2.28事件)を題材としていますが、これについては歴史的な背景を説明する必要があるでしょう。
 台湾が歴史上注目されるようになったのは、オランダ人が台湾に貿易拠点を築いた17世紀以降です。それ以前にも台湾には、高山人と呼ばれる先人民(先住民は多様で、詳細については私も知りません)、さらに中国南部から移民した人々(本省人と呼ばれ、18世紀以降急増します)がいました。17世紀後半には鄭成功がここに拠点を置いて清と対抗し、同世紀末には台湾は清=中国の領土となります。19世紀末の日清戦争後に台湾は日本の領土となり、50年間日本の支配を受けることになります。この間、1930年代に霧社事件と呼ばれる高山人の反乱が起き、これをきっかけに日本軍により多くの人々が虐殺されました。
 戦後日本軍が撤退し、中国(中華民国)の国民党政府による支配が始まります。国民党の総統蔣介石は、台湾に役人を送って過酷な支配を行います。日本の支配が終わり、新しい時代の到来を夢見ていた人々は幻滅し、民主化運動を進めますが、これに対して国民党は過酷な弾圧を行います。これが2.28事件です。これ以降40年間台湾は、戒厳令の下におかれることになります。
 この映画では、弾圧の場面はほとんど描かれていませんが、弾圧によって追い詰められていく台湾の人々の姿が刻銘に描き出されます。映画ではさまざまな人々の動きが同時平行的に描き出されているため、全体像を把握するのは容易ではありませんが、当時の台湾の人々の心の内がよく描かれていると思います。弾圧された人々は山に逃れて抵抗運動を続けようとしますが、2年後の1949年、本土で共産党との戦いに敗れた蔣介石が台湾に本拠を移し、以後蔣介石の支配の下で抵抗運動は徹底的に弾圧されます。
蔣介石の独裁は、1975年の彼の死まで続きます。結局台湾は、日本の撤退後30年間国民党の支配を受けることになったのです。蔣介石による支配がこれほど長期間続いた理由の一つは、冷戦という国際体制の中で、アメリカが台湾を対中国の拠点として支援し続けたということがあります。しかし、日中関係や中米関係が改善されていく中で、台湾でもようやく民主化への動きが高まっていきます。1989年に初めて複数政党による総統選挙が実施されます。この映画が制作されたのはこの年であり、同時にこの年は冷戦が終結した年でもあります。とはいえ、この時代に2.28事件を題材とした映画を制作するには、相当勇気が必要だったと思われます。台湾の政府が2.28事件を歴史的事実として認めたのは、1991年のことです。
 大変長くなりましたが、この映画を理解するためには、この程度の予備知識が必要です。同時に、隣国である台湾について、我々はこの程度の知識はもっていたいものです。日本の石垣島から東京までは410キロありますが、台湾までは270キロしかありません。まさに台湾は日本の隣国なのです。
この映画を観る以前に、私は2.28事件について知ってはいましたが、具体的な内容をほとんど知りませんでした。この映画を観て、当時の台湾の人々の心が少しだけ理解できたような気がします。とくに、主人公の青年が聾唖者であったことが、台湾人の心を象徴しているように思われました。何も聞かず、何も見ない振りをして生き続ける、ということです。

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