2014年1月11日土曜日

「王家の紋章」と「女帝(えんぺらー)」を観て

 どちらも2006年に公開(日本では2008)された映画で、「王家の紋章」は中国、「女帝」は香港(香港も中国ですが)で製作されました。どちらも、10世紀の五代十国時代の後唐を時代背景としており、話しの内容も似通っているため、何かベースとなる話があるのかもしれません。また、中国の歴史映画ではお決まりのワイヤーアクションも多用されていますが、私個人としては、ワイヤーアクションがあると内容が嘘っぽく見えるので、あまり好きではありません。武具をつけ、重い刀をもって空を飛んだり宙返りをすることなど、不可能だからです。さらに、どちらも映画の内容と日本語のタイトルがあっていないように思われます。確かに、中国語の原題では日本人の観客には分かりにくいと思いますが、それにしても安易すぎるような気がします。
 映画の内容に触れる前に、五代十国という時代について簡単に説明しておきます。五代十国とは、唐が滅亡した907年から宋が成立する960年までの53年間を指し、この時代に黄河流域に5つの王朝が興亡するとともに、その周辺に10の国が分立しました。まさに当時の中国は政治的に混乱状態にありました。五代のうち一番長く続いた国は最初の後梁で16年、一番短かったのは後漢の3年です。舞台となった後唐は13年ですが、この間に4人の皇帝がいます。初代は近衛兵によって暗殺され、2代目は名君でしたがまもなく病死、3代目は養子によって帝位を追われ、4代目の時に滅ぼされました。要するにこの時代は、宮廷内でのドロドロとした権力闘争が展開されていた時代でした。

「王家の紋章」

  この映画の内容は相当複雑です。武将から皇帝に成り上がった人物が、かつて立身出世のため前妻を捨てて王家の女性と結婚したのですが、捨てた前妻を忘れることができず、皇后に少しずつ毒を飲ませて殺害しようとしていました。一方、皇后は前妻の子である王子と不倫を行うとともに、皇帝の暗殺を計画します。そして、厄払いの祭日として知られる重陽節の日に、親子・兄弟・夫婦が殺し合うという惨劇が訪れます。この間、死んだはずの前妻が現れたり、近親相姦が行われたり、大量殺戮が行われるなど、すさまじい場面が登場します。私自身、この映画の内容が十分理解できなかったせいか、これほどの殺し合いをしなければならない理由が分かりませんでした。身内の権力闘争の醜さを描いているのか、男女の愛憎を描いているのか、それとも単に重陽節という厄除けの日に起こった惨事を描いているのか、よく分かりません。あるいは、中国の人々なら誰でも知っている何かを見落としているのかもしれません。
 また、「王家の紋章」という日本語のタイトルも、意味が分かりません。原題は「金の花の呪い」で、重陽節で飾られる菊の花にさまざまな愛憎が込められているといった意味だと思いますが、それが日本版では、どうして「王家の紋章」になってしまうのか、不可思議です。
 この映画の派手さには唖然としました。監督は北京オリンピック開会式の演出を行ったチャン・イーモウで、この映画は、さながら北京オリンピックの開会式を見ているようでした。この映画の公開は2006年なので、オリンピック開会式の予告編のつもりなのかもしれません。2008年北京オリンピックの開会式も、その派手さに唖然として見ていましたが、さすがに途中からうんざりして、見るのを止めてしまいました。そして、この映画についても同じような感想を抱きました。映像的には見事なまでに美しいのですが、現実感が欠けているように思われました。






















 私は、この時代の宮廷や衣装がどのようなものであったのか知りませんが、おそらくこの映画ではそうした時代考証はほとんど問題にされていないのでしょう。大変大規模な宮殿は、13年しか続かなかった後唐の実力からいって無理のように思われるし、極端に胸を露出した女性の大群も不自然に感じました。こうした映画の作り方は、この監督の過去の作品にも共通しています。始皇帝の暗殺を題材とした「ヒーロー」、唐代末期の政治的混乱を背景とした「ラヴァーズ」などがあり、どれも映像的に美しく、娯楽作品としては面白いのですが、内容的には今一といったところです。

 





















 チャン・イーモウは、こうした作品とはまったく趣の異なる作品もたくさん発表しています。貧しい農村の教育問題を提起した「あの子を探して」、以前に紹介した「初恋のきた道」、高倉健を主演として雲南での心の触れ合いを描いた「単騎、千里を走る」などです。いずれも、農村や雲南の美しい風景を堪能することができますが、内容的には「きれい事」すぎて、幾分現実感に欠けています。










「女帝(エンペラー)


この映画は、弟が王である兄を毒殺して王となり、さらに先王の妃を自分の妃とし、これ対して先王の息子が復讐を企てますが、結局、関係するほとんどの人々が死んでしまうという物語で、シェイクスピアの「ハムレット」をベースに製作されています。「ハムレット」に登場するオフィリアに相当する人物も登場します。ただ、「ハムレット」と異なっているのは、主人公は復讐を企てる王子ではなく、愛情と権力欲の間をさまよう王妃であるという点です。
この映画の原題は「夜宴」で、この映画の最後の場面がタイトルとなっています。この場面で、ほとんどの人が悲劇的な最後をとげていくからです。確かに、「夜宴」では日本人には分かりにくいかもしれないし、妃は最後に女帝となりますが、そのことはこの映画の主題ではないので、「女帝」というタイトルは誤解を招きます。「夜の宴」とか「王妃ワン」といったタイトルの方がよかったのではないかと思います。
 この映画は、ワイヤーアクションを除けば、宮廷や衣装などに比較的現実感があり、内容的にもよくできた映画だと思いました。それにもかかわらず、「ハムレット」のように心を揺り動かすようなものを感じることができませんでした。確かに、随所にハムレット風の台詞が散りばめられてはいましたが、一つ一つの「言葉」に重みが欠けているように思われました。総じて、中国の時代劇は、内容より映像的な派手さを追求しすぎるように思われます。私個人としては、じっくりと歴史を描くような映画を見たいのですが、今のところそうした映画に出会っていません。恐らく中国では製作されているのでしょうが、そうした映画は日本では紹介されていないようです。

 
 








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