2014年9月19日金曜日

映画で古代アメリカを観る

太陽の帝王

1963年にアメリカで制作された映画で、マヤ族に関するものです。時代は、1000年ほど前ということですから、10世紀頃と思われます。
マヤ文明は、メキシコ南東部からグアテマラにかけて栄えた文明で、そのルーツは紀元前3000年頃まで遡りますので、いくつかの時代区分が行われています。まず先古典期前期(紀元前3000 - 紀元前900年)に始まり、先古典期中期(紀元前900 - 紀元前400年)、先古典期後期(紀元前400 - A.D.250年)、古典期前期(A.D.250 - 600年)、古典期後期(A.D.600 - 900年)、後古典期(A.D.900 - 1524年)と続きます。ほとんど意味不明の時代区分ですが、マヤ文明が最も栄えたのは古典期後期だそうで、この映画の舞台となった10世紀には、すでにマヤ文明は衰退期に入っています。

メソアメリカでは多くの文明が興亡し、その興亡の原因ははっきりしません。ただ、メソアメリカには北からさまざまな民族が侵入し、それが多くの文明の興亡の原因の一つだったことは確かでしょう。古典期後期の文明が衰退したのは、当時メキシコ中央高原に栄えたトルテカ帝国(7世紀頃~12世紀頃)の侵入によるものではないかと推測されます。事実その後マヤ文明はトルテカ文明の影響を受けるようになったとされます。また、メキシコ湾岸の海上貿易が発展し、マヤ地区が通商路からはずれてしまったとも考えられます。事実、その後マヤ文明の中心はユカタン半島に移り、その北部にチチェン・イッツァが建設されます。そしてチチェン・イッツァで祭られていたのはケツァルコアトル(マヤ語ではククルカン)であり、ケツァルコアトルはトルテカ帝国の祖神です。ただし、ここで述べたことはすべて推測であり、私自身の誤解によるものなので、あまり信用しないで下さい。

ウイキペディア

映画は、チチェン・イッツァにおけるケツァルコアトルの神殿の場面から始まります。映画では現存する実物の神殿が使用されますが、この神殿は高さが24メートルもあり、階段は急勾配で、これを上り下りするタレントは大変だったようで、しかも上から下を見ると目が眩むそうです。








地図はグーグル・アースで、図は私がいいかげんに書いたものです。

当時強力な軍事力をもったフナックと呼ばれる人物が率いる異民族が侵入し、チチェン・イッツァは滅亡寸前でした。神官は神に生贄(人身御供)を捧げるべきだと主張しますが、バラーム王は生贄に反対で、船で脱出することにします。映画のタイトルは「太陽の帝王」となっていますが、マヤは大きな政治的・軍事的勢力を形成したことはなく、多くの都市が存在し互いに合従連衡を繰り返していました。そのため、強力な勢力に攻め込まれるとひとたまりもありません。映画はアステカ帝国やインカ帝国と勘違いしているのでしょう。
やがて彼らは現在のテキサス州に到達し、そこで新しい生活を始めました。そこにはブラック・イーグルと呼ばれる人物に指導される狩猟民族が住んでおり、当初彼らと対立していましたが、やがて平和的に共存するようになります。ところがそこへフナックが大船団を率いて攻めてきました。バーラムはイーグルの援軍を得てフナックを倒すことができましたが、この戦闘でイーグルが戦死してしまいます。フナックなき今、バーラムは故郷に帰ることが可能となりましたが、生贄など厄介な儀式の多い故郷より、簡素で自由なこの土地で生きていくことを決意します。
ところで、先スペイン期の文明では、人間を生贄として神に捧げる人身御供の習慣が存在していました。人身御供の習慣は、古代社会には多くの地域で行われていました。今日われわれは日々死と向かい合って生きている分けではありませんが、古代社会では人命は災害や飢饉によって簡単に失われるものでした。こうした禍は神の意志によるものと考えるしかありませんので、人間にとって最も大切な命を捧げることによって災害の発生防止を祈願します。多くの場合、人身御供の習慣は消滅していきますが、先スペイン期の中南米では16世紀まで行われていました。

アステカでは、太陽の不滅を祈って、人間の新鮮な心臓を神殿に捧げたそうですが、インカ帝国でもマヤでも同様の習慣があったようです。なぜこのような習慣が長期間続けられたのかは分かりませんが、先スペイン期の文化や信仰と深く結びついていたようです。そこにあっては、生贄に選ばれることは大変名誉なことであり、アステカでは球技によって勝ったチームが人身御供に供されるといった風習も在ったとのことです。インカでは、生贄は村々から募集され、国によって保護されて、神への供物として一定年齢に達するまで大切に育てられたそうです。マヤでは、干ばつになった時14歳の美しい処女を選び、少女は美しい花嫁衣裳を身にまとい、ククルカンの聖なる泉に投げ込まれたそうです。いずれにしても、人間にはどうすることもできない自然の前にあって、人間を差し出すことによって神と人間の結合を強固にしようとしたと思われます。
 もちろん、生贄に対する批判もありました。トルテカ帝国が生贄を禁止したとされますが、真偽の程は不明です。生贄を廃止しようとすると、強力な反対勢力が現れて、結局失敗してしまうようです。また、この映画ではマヤの王が生贄の儀式を嫌い、災難の原因は生贄の儀式をしない王にあると批判され、結局故郷に帰らず、新天地で生きていくことを決意します。

 この映画の主張するところは明らかで、因習に囚われた祖国を捨て、自由な新天地アメリカで生きていくという、アメリカ人好みのテーマです。したがって、内容的にはつまらない映画であり、時代考証もいい加減に思われましたが、「マヤ」という非常に特殊なテーマを扱っているので、許したいと思います。なお、こうした事件が本当にあったかどうかについては分かりません。多分創作だと思われます。

チチェン・イッツアの神殿のケツァルコアトル。ケツァルコアトルは「羽毛ある蛇」です。
















代々木公園にあるケツァルコアトル像。メキシコの当時の大統領夫人来日記念として、メキシコ政府より贈られたものだそうです。かなりデフォルメされていて、ケツァルコアトルとは気づきにくいと思います。











アポカリプト

2006年のアメリカ映画。監督はイエス・キリストの最期を描いた『パッション』の監督メル・ギブソンです。この監督は自分のイデオロギーを主張するために、平気で事実を捻じ曲げる傾向があるそうで、この映画はまさにそうした映画です。監督のイデオロギーとは、白人クリスチャンを上位におく右派キリスト教の思想で、このブログの「映画でヒトラーを観て 紳士協定」の世界でした。この映画に対しては、マヤ学の研究者から強い批判があったそうです。

 ドラマの時代は16世紀の初め、コロンブスの大西洋横断後まだそれほど経っていません。場所はよく分かりませんが、ユカタン半島のどこかでしょう。ドラマは、マヤの軍隊が密林の中で素朴で「野蛮」な生活をしている村々を襲い、生贄にするための村人を連れ去るところから始まり、その中に主人公の青年も含まれていました。いよいよ彼が生贄にされようとするときに皆既日食がおき、彼は脱出に成功します。その後は逃げる主人公とそれを追う兵士とのサバイバルゲームです。さすがに映像は見事でしたが、私は「血みどろ」は苦手なので、時々目を逸らし、早送りして観ました。

 出演者はすべて現地人から選び、全編マヤ語で話すという映画で、マヤ文化を紹介する映画かと思っていましたが、実際はまったく逆で、マヤ人の野蛮性を強調するための手段でした。また主人公は都に連行されますが、それは旧約聖書に登場する悪徳と退廃の町ソドムとゴモラそのものでした(「映画で聖書を観る ソドムとゴモラ」)
 そして最後に、主人公と兵士が海にたどり着いた時、海には見たこともない大きな船が並び、小舟でキリスト教の宣教師が十字架を掲げて岸に向かっていました。そしてその姿は神々しいばかりに輝いていました。この映画のタイトルである「アポカリプス」とは黙示録であり(「映画で聖書を観る 新約聖書~ヨハネの福音書」を参照してください)、ヨーロッパ人が堕落した野蛮な世界に神の啓示を伝えるために到来した、といった意味でしょうか。この映画の冒頭に「文明が征服される根本原因は、内部からの崩壊である」というナレーションが入ります。それは、古代アメリカ文明を滅ぼしたのはヨーロッパ人ではなく、自分たちの内部崩壊であり、それに対して白人が神にかわって懲罰を下し、神の啓示を伝えるのだと言っている分けです。

 初めは真剣に見ていたのですが、だんだん腹が立ってきて、「血みどろ」も嫌だったので、早送りしてみてしまいました。こんなひどい映画はかつて観たことがありません。前の「太陽の帝王」は、幾分単純なアメリカ的価値観の押し付けではありましたが、悪意は感じませんでした。しかしこの映画は悪意の塊であり、いくらマヤを扱っているからといって、とても許せません。このような映画が広く受け入れられているということは、アメリカにはなお「紳士協定」の世界が強く残っているということでしょうか。

アギーレ/神の怒り

1972年の西ドイツの映画で、スペイン人によるエル・ドラド(黄金郷)探索の物語です。

 1521年にコルテスはアステカ帝国を滅ぼし、1533年にはピサロがインカ帝国を滅ぼして、膨大な黄金の工芸品を奪い、これらをすべて溶かして延べ棒とし、スペインに送りました。こうした中で、アンデスの西側のアマゾン流域の奥地に黄金郷があるという伝説が生まれました。













地図はグーグル・アースで、線は私がいいかげんに書いたものです。












この黄金郷を発見するために、1560年にスペインは多分数百人の探検隊を派遣しました。出発点のキトは、赤道直下の標高2850メートルの位置にあり、かつてはインカ帝国の第二の都であり、現在はエクアドルの首都です。まず、大西洋を横断するのも命がけの時代で、さらにキトにまで達するのも大変です。そしてキトからさらにアンデスを登り、こんどはアンデスの東側斜面を下ることになります。兵士たちは鉄の鎧兜を身に着け、荷物運びのためのインディオの奴隷は鎖につながれています。さらに食糧のための家畜や大砲まで運んでいます。なぜか何人かの女性が同行しており、しかも美しく着飾っています。
 峻厳な稜線を、長い隊列が進んでいく光景は、大変幻想的であると同時に、場違いで滑稽でもあります。やがて探検隊は激流が渦巻く川に行き当たり、ここで指揮官はこれ以上の進行を断念して、40名だけ選んで彼らにこの先の探検を委ね、1週間たって戻らなければ全滅したとみなすと宣言します。このあたりまでは若干の記録が残っているそうですが、その後40人がどうなったのかは分からず、一人も戻りませんでした。したがってここから先は、創作ということになります。
 40人の中には、隊長の愛人と副隊長アギーレの15歳の娘も含まれていました。本人たちの希望によるものだということです。3槽の筏を組んで川を下りますが、1槽は転覆し、またしばしば現地人の攻撃を受けて、人数はしだいに減っていきます。そうした中でアギーレは反乱を起こし、隊長を殺害し、スペインからの独立を宣言し、ここに帝国を樹立することを宣言します。そしてこの頃から人々はしだいに狂気に陥っていきます。それでもアギーレは、コルテスやピサロが成功したのに、自分が成功しないはずはないと信じ、ひたすら前進します。この頃から彼は「俺は神の怒り」であると口走るようになります。

 「神の怒り」という言葉の意味は私にはよく分かりません。旧約聖書において「神の怒り」とは信仰をもたぬものに対する怒りであり、新約聖書においては「原罪」であろうとおもわれます。したがってすべての人間は「神の怒り」のもとにあるわけで、「俺は神の怒り」だというのは「俺は神だ」といっているのと同じだと思います。アマゾン源流の秘境の真っただ中で、アギーレはあたかもすべてを支配しているかのような錯覚に陥ったのではないでしょうか。そして実は何も支配しておらず、むしろ彼は巨大な自然に完全に支配されていたのだろうと思います。彼は「神の怒り」を受けていたのではないかと思います。

 当時のスペイン人は、ある意味で偉大であったように思われます。欲に駆られていたとはいえ、歴史の巨大な流れと強烈な冒険心が彼らを突き動かし、善きにつけ悪しきにつけ、強烈な意志をもって世界史の扉をこじ開けようとしていました。確かに彼らの行為は、インディオを踏みつけ、スペインに物価高騰をもたらし、また多くの有為な若者が無為に死んで行きました。あたかも『ドン・キホーテ』のように、彼らは新しい世界史の扉に突進していったように思われます。

この映画は何を言いたいのかよく分からず、解釈することが難しい映画でしたが、美しい映像と極限状態での狂気の姿は必見に値します。なお、この映画のアギーレは、サッカーの日本代表監督としてメキシコから招かれたアギーレとは無関係です。



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