2015年3月25日水曜日

「スペイン戦争 ジャック白井と国際旅団」を読む

川成洋著、1989年、朝日選書
 1936年にスペインで始まった内戦において、スペインの民主主義を守るために、世界中から多くの義勇兵が集まりました。そしてその中に、一人の日系アメリカ人が加わっていました。その名をジャック白井といいます。その他にも何人か日系人が参加していたという伝聞があるのですが、はっきりしているのはジャック白井だけです。
 著者は、ジャック白井の足跡を丹念に調べ上げます。出生なついては、白井が1900年頃日本の函館で生まれたらしいこと以外は、ほとんど何も分かっていませんが、不幸な生い立ちだったようです。1929年にニューヨークで姿を現し、コックの仕事をしていたようです。この頃から、彼を知る人が現れ始めます。反戦運動で知られる石垣綾子と親しく、労働運動にも参加していたようです。そして、1936年にスペインで内戦が始まると、彼は義勇兵に志願し、スペインに渡ります。
 何故彼がスペイン内戦に参加したのか。著者によれば、不幸な生い立ちと、世界恐慌後の踏みにじられた生活への怒りから、スペインで民主主義の火を消すな、というのが義勇兵たちの共通の心情だったようです。「スペインの民衆の果敢な武力抵抗は、真暗闇の中で、消えることのない一条の光と映ったのだった。」
 著者は、スペインで白井と同じ隊にいた人を捜し出し、丹念に聞き取り調査をします。白井はコックだったので、調理班に入れられることになりましたが、白井は「自分は料理のためではなく、ファシストを殺すために来たのだ」と怒ったそうで、彼は「銃をもつコック」といわれていたそうです。しかし、現実には人民戦線政府は内部対立を繰り返し、イギリスやフランスは援助を拒否しましたので、戦いは劣勢が続き、1937年に白井は戦死します。そして39年にフランコの反乱軍が勝利し、以後1975年にフランコが死ぬまでスペインに独裁体制が続くことになります。
 ニューヨーク時代の彼は寡黙だったそうですが、スペインではいつも笑顔で話し、乏しい食材を用いて彼が造る料理は美味しいとの評判でした。「ジャック白井は、スペインで、この上なく幸せだったに違いない。彼の37(多分)の生涯は、このスペインでの半年間の生活のための、いわば助走のようなものだったとも思われる。人種差別もなく、過去の経歴も全く問題にしないスペイン。それが故に各々の能力が正当に評価され、それを十分に発揮できるスペイン。人間同士のぬくもりが肌でわかるスペイン。今までの白井にとって、このような生の充実を実感できた場所がスペイン以外にあったであろうか。生きていることを実感できるスペインで、白井はおのれの生命を十二分に燃焼できたのではあるまいか。それは失われた日々をたぐり寄せるようなものだろう。」ジャック白井に対する、著者の思い入れの深さを示す言葉です。


 なお、1937年に日本は、まだ勝敗のはっきりしないフランコ政権を承認します。それは、ドイツとイタリアによる満州承認の見返りだったようです。

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