2015年5月2日土曜日

映画で古代ギリシアを観て(2)

インモータルズ -神々の戦い-

 2011年にアメリカで制作された映画で、ギリシア神話を題材としています。「インモータル」とは「不死」とか「神」といった意味で、複数形なので「神々」といった意味だと思います。ここでいう「神」とは、ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教でいうような絶対的な神ではありません。ギリシア神話における神々は、人間と同じように感じ、考え、生活する神であり、もちろん人間よりはるかに大きな能力を持ちますが、人間との決定的な違いは「不死」であるという点だけです。
 ギリシア神話によれば、最初に混沌=カオスがあり、やがて大地=ガイアが現れ、天=ウラノスと交わってさまざまな神々が生み出されます。その子クロノスはウラノスを追放して王となり、さらにクロノスの子ゼウスがクロノスを追放して王となります。一方、クロノスの兄弟姉妹たちはタイタン(ティーターン)と呼ばれ、クロノスは彼らを使ってゼウスとその兄弟たちと戦争します。結局ゼウスたちが戦争に勝ち、ゼウスはタイタン一族をタルタロスと呼ばれる冥界に閉じ込めます。こうしてゼウスを頂点とする神々の秩序が形成されますが、それを確固たるものにする前に、もう一つの凄まじい戦いが行われることになります。
 映画はここから始まります。ハイペリオンという人間の君主が、妻子が死んだことに怨みを抱き、タイタン一族を解き放って神々に復讐しようとしたのです。タイタン一族を解き放つには、エピロスの弓という強力な弓でタルタロスの扉を破らねばならないため、ハイペリオンは、村々を襲って弓を捜し始めました。時は、紀元前1228年ということになっていますが、この年号にどういう意味があるのか分かりません。丁度トロイア戦争の頃に当たります。いずれにしても、この限りでは人間同士の戦いであり、神が手を下すことはできません。そこでゼウスは、テセウスという青年に戦いを委ねます。
 初めテセウスは神を信じていませんでしたが、色々あって神を信じるようになり、ハイペリオンと戦います。しかしハイペリオンはエピロスの弓を手に入れ、タイタン族を解放してしまいます。ここで神々が介入し、タイタン族と神々との凄まじい戦闘が展開され、アテナイやポセイドンが戦死しますが、ゼウスはタイタン族の封じ込めに成功します。アテナイやポセイドンは神(インモータル)であり、彼らは不死(インモータル)のはずなのに、死んでしまいました。この辺の事情はよく分かりませんが、テセウスもハイペリオンを殺し、自らも死にますが、その功績により神となります。

 神々とタイタン族との戦いは、ギリシア神話でよく語られていることですが、映画における話の大部分は創作かもしれません。神々によるタイタン族との戦いは、多分ギリシア人による先住民族の征服過程が神話化されたものと思われます。丁度日本の「古事記」や「日本書紀」のようなものではないかと思います。

300 〈スリーハンドレッド〉

2007年にアメリカで制作された映画で、紀元前5世紀におけるペルシア戦争でのテルモピレー(テルモピュライ)の戦いを扱っています。
 8世紀頃ギリシア各地にポリスが誕生し、それぞれ独立性が高く、制度的にも微妙に異なっていました。その中でも異色だったのは、スパルタです。スパルタでは、虚弱な新生児は山奥に捨てられ、男子は7歳になると家庭から離されて共同生活を送るようになり、日々厳しい肉体的な訓練と軍事的な訓練を受けるようになります。18歳になると成人と見做されますが、それでも共同で食事をし、妻をもっても夜は兵舎で過ごさねばなりませんでした。一般にスパルタ教育として知られる、このような特異なシステムがなぜスパルタで形成されたのでしょうか。
 一言で言えば、スパルタは先住民であるアカイア人をヘイロタイと呼ばれる奴隷とし、彼らの搾取の上に成り立っていたからです。スパルタによる奴隷支配は過酷を極めたため、しばしば奴隷が反乱を起こしました。当時ヘイロタイの数は15万から25万とされ、それに対して成人スパルタ人の数は8千から1万で、家族を含めても5万程度でした。したがってスパルタ人は奴隷反乱に対処するため、まったく労働することなく軍事訓練に明け暮れ、ヘイロタイの家に盗みに入ったり、彼らを殺したりすることが推奨されたとされます。

 ギリシアで、多くの都市国家が成立し、都市国家同士、都市国家内部で争っている頃、東方では巨大なアケメネス朝ペルシア帝国が成立しており、全盛期を迎えていました。そのペルシアがギリシア征服に動き出したわけですが、その背景については、このブログの「グローバル・ヒストリー 第6章 古代帝国の成立」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/01/6.html)参照して下さい。ただ、いろいろな理由はあったにせよ、破竹の勢いのペルシアが、西の端にほんの少し領土を広げようとした、ということだと思います。紀元前490年に、ダレイオス1世がギリシアに軍隊を派遣しますが失敗に終わり、ついで紀元前481年にクセルクセスが自ら軍を率いてギリシアに向かいます。これがこの映画の舞台です。
 ヘロドトスによれば、この時のペルシアの軍隊は200万を超えたとされますが、最近の研究では2030万程度とされています。当時ギリシアではペルシアと戦うことに反対する者が多かったようですが、スパルタの王レオニダスは300の精鋭を率いて出陣します。この他にスパルタ側には、各国の援軍が加わり、7000程度になっていたとのことです。かくして480年テルモピレーの戦いが始まります。戦闘は3日間続き、スパルタ軍は全滅しますが、この間にアテネはサラミスの海戦の準備をすることができました。
 映画の後半はほとんど戦闘場面で、かなり血みどろの場面が続きますので、私の好みにはあいません。スパルタ人たちは鋼鉄のような筋肉を持ち、生きた戦闘マシーンのようでした。映画はほとんどスタジオで作製され、背景などはほとんどCGだそうですが、それなりによくできていました。結局、この映画の目的は、戦闘マシーンによる戦闘場面を描き出すことだったのかもしれません。
 ところで映画では、しばしば「自由のために戦う」という言葉が出てきますが、これはアメリカ人が好きな言葉です。かつては、ペルシア戦争の勝利は、アジアの専制支配に対するヨーロッパの民主主義の勝利であると言われました。しかし、奴隷制が存在するギリシアに民主主義や自由を語る資格があるのでしょうか。ペルシアでさえ、スパルタ程過酷な奴隷制は存在しなかったでしょう。結局ペルシア軍は撤退しますが、ペルシアからすれば、これ以上の犠牲を出して貧しいギリシアを征服する意味がなかったのではないでしょうか。8世紀にイスラーム勢力がフランク王国に侵入し、トゥール・ポワティエ間の戦いで敗北した後イベリア半島に撤退しますが、彼らイスラーム勢力にとっても、これ以上の犠牲を出して貧しいフランク王国を征服する意味がなかったからではないでしょうか。

 結局、古代ギリシアについて、あまり良い映画には出会えませんでした。私に発想の転換を迫るような、斬新な映画はないのでしょうか。


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