2015年9月30日水曜日

映画「アラトリステ」を観て

2006年に制作されたスペイン映画で、17世紀前半におけるスペインの衰退を描いています。16世紀前半のスペインでは、ハプスブルク家のカルロス1世が国王となり、本拠地のオーストリアなど多くの領地を継承し、さらに神聖ローマ皇帝(カール5)となります。16世紀半ばにカルロスが引退する際、彼はオーストリアと神聖ローマ皇帝位を弟に譲り、ハプスブルク家はオーストリア系とスペイン系に分かれることになります。スペインを継承したフェリペ2世は、フランドル、アメリカ、フィリピン、イタリア南部、北アフリカ、ポルトガルとその植民地の支配者であり、まさにスペインの黄金時代を現出しました。スペイン黄金時代については、このブログの「「スペイン黄金時代」を読む」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/03/blog-post_18.html)を参照して下さい。
1598年にフェリペ2世が死んだ後、フェリペ3世が継承し、さらに1621年にフェリペ4世が即位します。すでにフェリペ2世の時代に、スペインには相当歪みが生じていましたが、フェリペ4世の時代にスペインは決定的に没落に向かっていきます。特に、1568年から1648年にかけてネーデルラント諸州の独立戦争で、八十年戦争と呼ばれる戦い、そして前に触れた三十年戦争(1618~48)が、スペインの衰退を決定的にしていきました。三十年戦争については、「映画で宗教改革を観て最後の谷」((http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/09/blog-post_26.html) 第18章 危機の17世紀  三十年戦争(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/01/1817.html)を参照して下さい。そしてこの映画の主人公アラトリステは「傭兵」を職業とし、スペインが戦った多くの戦いに参加しました。なお、当時のヨーロッパはどこの国でも、戦時に傭兵を雇うのは普通のことで、普段は首都のマドリードで日銭を稼いで暮らしているようです。
映画は、最後にアラトリステについて次のように述べています。「高潔と呼べる男ではなかったが、勇敢ではあった。フランドルの死戦から生還し、マドリードでは裏稼業で生計を立て、時にははした金でも仕事を請け負った。男の名はアリトリステ。」彼は多くの戦場で戦っていますが、その中でも二つの有名な戦いがあります。一つは1624~25年にかけてのブレダの包囲戦です。オランダ南部にあるブレダを包囲し、陥落させた戦いで、八十年戦争での数少ないスペイン勝利の戦いでした。この戦いについては、ベラスケスの「ブレダ包囲」という有名な絵が残っています。そしてこの戦いで、アラトリステは傭兵としての名声を高めます。もう一つは、フランスとベルギーの国境地帯にあるロクロワでの戦いです。この頃はフランスが三十年戦争に参戦しており、ドイツへ南下しようとしたフランス軍と戦いました。前に述べた「最後の谷」(「映画で宗教改革を観て 最後の谷」http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/09/blog-post_26.html)で傭兵隊長が戦ったのは、この戦いではないかと思います。この戦いでスペインは決定的な敗北を喫し、アラトリステもこの戦いで戦死します。

この映画は、同名の小説を映画化したもので、この小説はベスト・セラーとなりました。この小説のどこがスペインの人々の心を捉えたのか分かりませんが、アリトリステの中に、かつて世界を駆け巡った古き良きスペイン人を見たのかもしれません。しかも、負けると分かっている戦いに敢然と立ち向かうのは、あたかも「ドン・キホーテ」のようです。事実アラテリステは、「ドン・キホーテ」を愛読していました。映画は1625年のブレダの戦いから、1643年のロクロワの戦いまでの、およそ20年間に及ぶアリトリステの半生を描いており、多少分かりにくい部分もありましたが、よくできた映画だと思います。前に観た「アレクサンドリア」もスペインの映画であり、スペインは良い映画を制作しているようですが、日本ではあまり公開されていないようです。

1 件のコメント:

  1. 「アラトリステ」原作の翻訳チームのメンバーで、映画の字幕監修も担当しました。ご紹介いただきありがとうございます。原作をお読みいただけると、何故スペインで本作が愛されているのかおわかりいただけるかと思います。原作者ペレス=レベルテはスペインの司馬遼太郎、「アラトリステ」は『燃えよ剣』+『竜馬がゆく』+『世に棲む日日』と思っていただければわかりやすいかと。

    加藤晃生

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