2016年2月27日土曜日

映画「ルートヴィヒ」を観て

 1972年にイタリア・西ドイツ・フランスによって制作された映画で、240分という長編です。この映画には、イタリア語版とドイツ語版がありますが、日本ではイタリア語版しか公開されていません。映画の舞台はドイツであり、イタリア語とドイツ語では、かなり発音が異なるため、少し違和感がありました。ルートヴィヒは、19世紀後半のバイエルン国王だった人物で、映画は彼の半生を描いています。













 舞台となったバイエルン王国は、今日のバイエルン州の領域とほぼ一致しています。バイエルンには、すでに10世紀にバイエルン大公国が存在し、12世紀以降ヴィッテルスバッハ家がこの地域を継承し、この家門は実に20世紀初頭まで続きますので、まさに名門中の名門です。そしてルートヴィヒは、1864年にバイエルン国王となり、事実上彼がバイエルン王国の最期の君主となります。彼は、長身でハンサムでしたが、男色で、生涯結婚しませんでした。ただ、同じヴィッテルスバッハ家出身のオーストリア皇后エリーザベトには特別な感情を抱いていたようですが、それがどの様な感情なのかは、よく分かりません。
 エリーザベトは、ヨーロッパ第一の美女と言われましたが、堅苦しい宮廷生活を嫌い、自由奔放に生き、思い切り散財しますが、唯一の嫡子が自殺し、彼女自身、1898年にスイス旅行中に暗殺されます。彼女の夫であるオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は、1848年に18歳で即位し、1916年まで68年間在位します。この間にオーストリア・ハプスブルク帝国は、ゆっくりと衰退の道を歩み、1918年に滅亡します。そしてバイエルン王国も、ルートヴィヒの時代に衰退していきます。この間、北のプロイセン王国が破竹の勢いでドイツ統一に向かい、バイエルンもそれに飲み込まれていきます。
 ルートヴィヒは政治には関心がなく、まずワーグナーに熱中します。ワーグナーは浪費癖の激しい人物でしたが、ルートヴィヒはワーグナーの言いなりに金をつぎ込み、さらに「『ニーベルンゲンの指輪』を演奏するためにバイロイト祝祭劇場まで建設します。ワーグナーについては、このブログの「映画で西欧中世を観て(2) はじめに」を参照して下さい(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/07/2.html)。周囲の反対から、一時ワーグナーを追放しますが、今度はルートヴィヒは築城にのめり込み、ノイシュヴァンシュタイン城をはじめとする三つの城を築きます。国費の浪費、政治への無関心、さらに城に洞窟を造って、若い男優たちを集めて一晩中過ごすといった状態です。
 こうした中で、大臣たちはルートヴィヒの退位を画策するのですが、ルートヴィヒは意外にも国民に人気がありました。それは、ルートヴィヒがバイエルンを心から愛していたからだろうと思われます。そこで大臣たちは、彼を精神科医に診断させ、彼がパラノイア (偏執病・妄想症)という精神病であるとして、彼を退位させて監禁しますが、翌日彼は自殺しました。188641歳でした。彼を精神病とした診断書が残っていないため、暗殺という説もあるそうですが、真偽は不明です。
 彼が何を求めていたのかについては、映画を観てもよく分かりませんでした。現実の世界から逃避し、ひたすら幻想の世界に生きているように思えましたが、しかし彼は、バイエルン王国の滅亡という現実を誰よりも認識していたのかもしれません。むしろ、バイエルン王国の存続を願う人々こそが、幻想の世界に生きていたのかもしれません。事実、第一次世界大戦後のドイツ革命により、バイエルン王国は滅亡します。しかし、バイエルンは、10世紀における神聖ローマ帝国の成立以前から、半独立的な勢力を形成しており、今日でもバイエルンには強い自立志向があるそうです。

 そしてルートヴィヒは、このバイエルンに大きな遺産を遺しました。彼が建設したノイシュヴァンシュタイン城などはドイツの観光名所となっており、さらに、バイロイト祝祭劇場は、多くの音楽家の憧れです。また、毎年夏に1ヵ月間バイロイト音楽祭が開催され、ワーグナーの作品が上演され、多くのファンを引きつけています。つまりルートヴィヒの浪費は、バイエルンを文化の地に変えました。そしてこれがルートヴィヒの願いだったのかもしれません。

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