2016年5月21日土曜日

映画で世界大戦を観て

はじめに

 20世紀前半に起きた二つの世界大戦に関して、2本の映画を観ました。もちろん、世界大戦に関する映画は数えきれない程沢山ありまが、私はこの2本しか観ていません。どちらも、戦争中に起こった小さな物語ですが、戦争というものをく考えさせてくれるの物語です。

西部戦線異状なし

 レマルクの同名の小説がアメリカで映画されたもので、第一次世界大戦の虚しさを描いています。レマルクはドイツの作家で、彼は第一次世界大戦中の1916年に、教師の説得で学友たちとともに志願兵として参戦し、負傷します。1929年にレマルクは、彼自身の戦争体験を基に、「西部戦線異状なし」を発表し、たちまちベストセラーとなり、翌年にはアメリカで映画化されました。彼はその後も反戦的な小説を書き続け、ナチスにより国籍をはく奪されてアメリカに亡命しました。
 映画は、第一次世界大戦初期に、学校の教室で教師が愛国心を叫び、学生たちに志願兵となって戦争に行くようにアジテーションをしている場面から始まります。それは、あたかもヒトラーの演説のようでした。学生たちは熱狂し、我先にと軍隊に志願します。しかし、現実の戦争は、彼らが想像していたものとは全く異なっていました。英雄的な戦いはどこにもなく、ひたすら塹壕を掘り、兵士たちは塹壕の中をかけずりまわっていました。
 ナポレオン戦争の時代には、兵士たちは横一列に並び、敵に向かって前進します。敵は、これに対して一斉射撃を行うわけですから、まるで死刑囚の銃殺のようです。ところが、この時代の鉄砲はあまり当たらなかったようで、生き残った兵士が一気に敵陣に突っ込むというのが、当時の戦法でした。しかし、第一次世界大戦の頃には兵器が随分改善されており、射程距離も命中精度も高まり、また連発銃も使用されるようになります。そうなると、今までのように敵陣に進撃したら、突入する前に皆殺しにされてしまいます。そこで両軍ともに塹壕を掘り始めたのですが、それがどんどん延長され、ベルギーの海岸からスイスの国境まで掘られることになります。塹壕内の居住環境は劣悪で、雨が降れば水につかり、疫病、凍傷、水虫などが蔓延していました。
 こうした戦いに勝利するため、戦車、航空機、手榴弾、毒ガスなど様々な兵器が開発されますが、埒があきません。時々、戦局を切り開くために大決戦を試みますが、膨大の死傷者が出るのみで、戦局はほとんど変わりませんでした。主人公のパウルは、19歳の時に志願し、すでに3年が経ち、級友たちも何人か死にました。お互いに命を守るのが精いっぱいで、何のために戦っているのか分かりませんでした。彼も負傷し、一時帰郷が認められますが、故郷では相変わらず愛国心が叫ばれ、学校では例の教師が相変わらずアジテーションをしていました。彼は故郷の雰囲気に心の安らぎを得ることができず、休暇を返上して戦場に帰って行きます。
 生きるために、ありのままの姿で語り合える戦場の方が、彼は心の安らぎを得ることができました。ある時、比較的平穏な日がありました。例によって、彼は塹壕から敵の前線を監視していたのですが、たまたま目の前を蝶が飛んでいたため、これを捕まえようとして身を乗り出した時、敵の銃弾が彼に命中し、そのまま彼は死んでしまいました。その日の前線から本部への報告は、「本日西部戦線異状なし」というものでした。一人の青年が死んだにも関わらず、です。そして、まもなく終戦を迎えようとしていました。

 映画は冒頭で、「この物語は……冒険物語ではない。死に向き合っている人間にとって、それは冒険と呼べるものではない。これは砲弾から逃れたが、戦争により破壊された若者たちの話である」と述べます。これほど虚しい戦いをしにながら、ヨーロッパは20年後にもう一度、第一次世界大戦よりはるかに大規模な第二次世界大戦を戦うことになります。

レニングラード大攻防 1941

1985年にソ連で制作された映画で、1941年に始まった独ソ戦争でのレニングラード包囲戦を題材としています。日本語タイトルの「レニングラード大攻防」もサブタイトルの「ナチス包囲―戦慄の900日」も大嘘で、原題は「火薬」であり、ほんの数日間を扱っているにすぎません。ただ、タイトルから推測して、ソ連の国威発揚映画だと思って、あまり期待していなかったのですが、意外にもよくできた映画でした。
1939年に第二次世界大戦が始まる直前に、ソ連はドイツと不可侵条約を締結していたため、当初は戦争に巻き込まれませんでした。しかし、この不可侵条約はドイツが二正面作戦を避けるための時間稼ぎにすぎないことは分かっていたはずですが、1941622日にドイツ軍が、北部・中部・南部から総攻撃を開始すると、ソ連軍は総崩れとなります。今回の戦争に関してヒトラーは、フランスなどとの戦争とは異なり、「イデオロギー戦争」「絶滅戦争」と位置付けていました。つまりヒトラーは、スラヴ人を劣等民族として、ドイツ系移民による植民地とするつもりだったとされます。
98日に、ドイツ軍はレニングラードの包囲をほぼ完成し、レニングラードへの空爆を開始します。開戦前のレニングラードの人口は300万を超していましたが、ドイツ軍の急進撃のため、住民はほとんど疎開する暇がありませんでした。直ちに食糧は配給制になりますが、何よりも火薬の在庫が底をついていました。そして映画は、ここから始まります。リニングラード駐屯軍は海軍から火薬を調達することになり、ドイツ軍の包囲網をかいくぐって、火薬をレニングラードに運び込むことになりました。映画は、火薬を運び込む数日間を描いているだけですので、「レニングラード大攻防」というタイトルはひど過ぎます。
この任務を命じられたのは、ニコノフ大佐と5人の部下でした。当時、ニコノフの家には、家を出て行った妻が帰ってきていました。彼女は、別に好きな男性ができたため、子供を連れて家を出て行ったのですが、相手の男性が戦死したため、行き場を失って、子供を預かってくれるように頼みに来たのです。他の隊員も色々問題を抱えていましたが、火薬の補給は緊急を要するため、とりあえず任務に就きます。ドイツ軍による猛烈な空爆で次々と人が死んでいきますが、隊員たちはわりにのんびりしており、冗談を言い合ったりしており、それぞれの個性がよく描かれていました。こうして何とか任務を終了し、ニコノフが家に帰ると、まだ妻がいました。妻はまだ恋人を愛しており、「ファシストに打ち勝とうが、ヒトラーを殺そうが、彼は戻ってこない」と言います。それに対してニコノフは、「生きてみるのがいい。死ぬのは簡単だ」と言い、また一緒に暮らすことを提案して、映画は終わります。多くの死を見てきた男の言葉でした。
この時、レニングラードが包囲されて21目が終わろうとしていましたが、レニングラードの包囲は900日近く続きます。この間のレニングラードは悲惨でした。食糧不足のため餓死する人々が多く、また人肉を食べ、人肉を販売する店まで現れたそうです。19431月からソ連軍の反撃が開始され、19441月に包囲は完全に解かれました。この間に、レニングラード住民の3分の1近くが死亡したとされています。ニコノフ夫婦は、この苦難の時代を生き抜くことができたのでしょうか。



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