2017年2月18日土曜日

映画「ミッション」を観て

 1986年にイギリスで制作された映画で、18世紀に、今日のパラグアイあたりで行われたイエズス会による宣教活動を描いたもので、史実に基づいてします(ただし、登場人物は架空の人物です)。宣教師が未知の世界で宣教活動を開始する場合、まず活動の拠点として宣教所を建てますが、これがミッションで、今日も当時この地域に建てられたミッションが幾つも残っており、それらは今日世界遺産となっています。









 映画の背景は非常に複雑で、私も知らないことが多く、調べるのにかなり時間がかかりました。まず南米の植民地の過程ですが、15世紀末以来スペインとポルトガルが進出していきます。スペインはカリブ海から中米に進出し、そこから南米へ進出すると同時に、現在のアルゼンチンの首都ブエノスアイレスに上陸して、そこから内陸に進出します。これに対して、ポルトガルは東海岸から奥地へと進出し、その結果南米は、スペインとポルトガルによって二分される分けですが、その過程で両国の境界が問題となり、この映画で直接問題となったのはパラグアイです。
 当時のパラグアイからウルグアイにかけての地域には、幾つかの部族集団が住んでいましたが、その内グアラニー族は粗放ながら農耕を行い、比較的温和な部族だったため、スペイン人は彼らと友好関係を築いていきます。17世紀に入ると、イエズス会の宣教師たちがこの地方で宣教活動を始め、当初は迫害されましたが、しだいにキリスト教に改宗する人々が増えていきます。映画のカバー写真は、迫害された宣教師が十字架に縛られて滝から落とされる場面で、この映画の最初の場面です。宣教師たちは、グアラニー人に粗放な農業を止めさせ、より合理的な農業を教えます。その結果生産力は増え、生産物は皆で平等に分配しましたので、原始共産社会のような社会が形成されていきます。それは、あたかも地上の楽園のようであったとも伝えられています。
 18世紀に入ると、いろいろな問題が起こってきました。まず、イエズス会に対する圧力が強まってきます。イエズス会はローマ教皇に絶対的な忠誠を誓い、国境など関係なく活動しますが、ヨーロッパ各国で強力な国家が形成されるようになると、イエズス会のような超国家的存在は目障りになってきます。ローマ教皇にとっても、グアラニー人による地上の楽園などは許しがたいものでした。もし地上に楽園があるなら、人々は天上の楽園を望まなくなり、そうなれば、教会の権威も失われるからです。こうした中で、18世紀半ばにスペインやポルトガルなど各国がイエズス会を追放し、1773年にはローマ教皇がイエズス会を禁止することになります。
 もう一つ大きな問題が存在しました。すなわち奴隷制の問題です。スペインが当初征服した地域は、アステカ帝国やインカ帝国のような高度な文明と農耕社会を形成していましたから、スペイン人はそれを征服して支配すればよく、新たに奴隷を持ち込む必要がありませんでしたので、スペインは奴隷制を禁止していました。ところが、ポルトガルが進出したブラジルには、そうしたまとまりのある社会は存在しなかったため、やがてポルトガル人は先住民を奴隷として農場を経営するようになります。しかし奴隷とするための先住民が減少すると、アフリカから黒人奴隷を輸入するとともに、さらに奥地に奴隷狩りを行うようになります。この奴隷狩りは大変儲かる商売だったようで、ウルグアイやパラグアイ地域にも多くの奴隷商人が進出していました。しかしこれらの地域はスペインの領土であり、スペインは奴隷制を禁じていますので、これらの地域を巡ってスペインとポルトガルが激しく対立することになります。
 こうした情勢の中で、イエズス会はグアラニー人に武装させ、奴隷商人の侵入を阻止し、今や彼らは独立国家の様相を呈してきました。このグアラニー人の共同体は、ポルトガルにとっても厄介であり、スペイン人にとっても厄介でした。というのは、スペイン人の中には、奴隷禁止に違反して奴隷制による農場経営を行う者がおり、彼らにとってグアラリー人は格好の奴隷の対象でしたが、イエズス会がいる限り彼らを奴隷にすることはできませんでした。こうして、グアラニー人を巡って、ポルトガル、スペイン、イエズス会が三つ巴になって対立することになります。そして1750年代に、グアラニー人はスペインとポルトガルの両軍によって攻撃され、さらにスペインとポルトガルでイエズス会の追放が決定されたため、グアラニー人の理想郷は消滅することになります。
 映画は、この1750年代におけるイエズス会宣教師とグアラニー人の苦悩を描いています。映画は、150年ほどの間に起こったことを、10年間ほどの時間に圧縮して描いています。まず、イエズス会のガブリエル神父が滝の上にミッションを建設し、グアラニー人への布教活動を開始しますが、これ自体は150年ほど前から始められていることです。一方、元傭兵で奴隷商人だったメンドーサは、恋人を巡って対立した弟を殺してしまい、深い自責の念にとらわれていました。そしてガブリエル神父に誘われて、滝の上のミッションを訪れ、ここで彼はイエズス会の宣教師となり、生きがいを見出していきます。そしてスペインやポルトガルとの戦いが始まると、ガブリエル神父は宣教師として戦わずして殉教の道を選び、メンドーサは宣教師の道に反して剣をとって戦い、死んでいきます。

 こうした事件はおそらく、スペインやポルトガルが中南米を征服していく過程で、数えきれない程起こってきたと思われます。そうした中で、グアラニー人の抵抗は、ヨーロッパの侵略に対する最後の抵抗の一つだったと思います。映画の背景は極めて複雑で、南米の歴史を深く考えさせられる映画でした。

0 件のコメント:

コメントを投稿